先日、長野県長野市にある戸隠神社に行って参りました。
宝光社、火之御子社、中車、九頭竜社、奥社の五社から成り立つ神社で、それらを回る五社巡りが有名。
私らも車で五社巡りしたんですが、タイトルのように結局は車3割で徒歩7割ほどの体感となり、結構良い運動だったので書いてみたいと思います。
戸隠神社の五社巡りとは
戸隠神社は、戸隠山の麓にあります。
戸隠山の名前の由来は、神話で天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天の岩戸を、天手力雄命(あめのたちからおのみこと)が投げ飛ばして出来たから、ということらしいです。
その神話に由来し、戸隠五社では関連する神様を祀っています。(九頭竜社のみこの地方の地主神を祀ってます)
- 宝光社:天表春命(あめのうわはるのみこと)
- 火之御子社:天鈿女命(あめのうずめのみこと)など
- 中社:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
- 九頭竜社:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
- 奥社:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
また、それぞれ参拝して得られるご利益は以下の通りとなっています。
- 宝光社:安産、家内安全など
- 火之御子社:芸能、火伏せなど
- 中社:学業成就、商売繁盛など
- 九頭竜社:縁結び、雨乞いなど
- 奥社:五穀豊穣、スポーツ必勝など
それぞれ得られるご利益も違う為、この五社を巡り、沢山パワーを頂こうというのが戸隠神社の五社巡りです。
また、実際に五社を巡り、御朱印を5つ揃えることで、最後に特別な記念品を貰うことができます。
私たちも頑張って貰ったんで、最後に紹介しますね!
戸隠山は鎌倉自体には修験道の一大道場だった
戸隠神社五社巡りが人気なのは、かつて修験道の一大道場だった事も理由の一つだと思います。
修験道って言うのは、山に篭って厳しい修行に耐えたのち、悟りを得ようとする山岳信仰のことです。
戸隠山は、素人がみても険しい岩場が目立つ山で、とてもこれを登ろうとは思いません。
しかし、鎌倉時代には戸隠山は修験道の一大山岳霊場になっており、多くの修験者が訪れたそうです。
戸隠神社があるのは戸隠山の麓なので、素人でも登ることは可能ですが、こうした昔の背景もあり、五社巡りの達成感はなかなかのものがあります。
これも戸隠神社の五社巡りが人気の理由の一つではないでしょうか。
徒歩で巡る場合
徒歩で五社巡りをする場合は、「神道」と言う道を歩いて行きます。
私たちは一部しか歩いてないのでわかりませんが、公式HPでは全工程徒歩だと概ね半日ほどかかるそうです。
一部整備されていない道もありますので、持って行った方がいいものがあります。
- 動きやすい服装
- 虫除けスプレー
- 熊鈴
動きやすい服装なのは勿論のこと、虫がいたり、クマの目撃情報などもあるようなので、虫除けスプレーと熊鈴は持っていって方がいいかもしれません。
ちょうど私が行った日にトレイルランが開催されていたんですが、走者の方も熊鈴鳴らしながら走っていましたね。
戸隠観光協会でさまざまなガイドコースが用意されているようなので、安全に回りたい方はお願いしてみてもいいかもしれません。
車で巡る場合
戸隠五社には一応それぞれに駐車場があり、それぞれ停められる台数は以下の通りです。
- 宝光社:約20台(無料)
- 火之御子社:約3台(無料)
- 中社:約100台(無料)
- 九頭竜社:約120台(3時間600円)、約30台(1回600円)
- 奥社:九頭竜社と同じ駐車場を使用
このうち、火之御子社の約3台が鬼門です。
駐車スペースが狭いので、私たちも停められませんでした。
実は火之御子社には御朱印の授与所がなく、実際には宝光社、中社のどちらかで御朱印を貰うのですが、必ず火之御子社の参拝後に貰ってください。
嘘ついて、「参拝してきました!」とかはきっと罰当たりですよ〜〜〜。
と言った感じで、車で巡る場合でも、火之御子社には、宝光社、中社のいずれかの駐車場に停めて歩いて行く必要があります。
どちらにせよ最後2社までは歩く
徒歩はもちろん、車で巡る場合も、九頭龍社、奥社までは参道を軽く登山をします。
駐車場から降りてすぐ参拝!と言うわけにもいかないので、注意して下さい。
参道は約2kmですが、高低差が結構あるので結構な運動量です。
では、早速私たちが行ってみたレポを始めます!
宝光社
一社目は宝光社です。
場所はこちら↓↓↓
googleマップで見ても、本格的に山の入口って感じですね。
ここに来るまでも結構登ってきたんですけどね。
長野市中心部が標高400m前後なのに対し、宝光社は約1100mほどですから笑。
さて宝光社は、入り口の鳥居の脇と、少し離れたところにも駐車場があります。
二つ合わせれば結構スペースはありますが、私は朝10時ぐらいに伺ったのに鳥居脇の駐車場は満車で、第2駐車場に停めました。
そして入り口の鳥居ですが、超えると約225段の階段があります。
早速第一の関門ですが、ようやく登り切ると、最初の写真の宝光社が見えてきます。
神々しく撮れてしまった。
かっこいいですよね。一社目だからか、厳かな感じをとても覚えています。
宝光社の社殿は、五社の中で一番古くに建てられたらしいです。
あと周りには宿坊とかもあって、やっぱり戸隠山の入り口ってことで昔は沢山栄えて、ここから戸隠山に臨んだのかなあとか想像が膨らみます。
実際に門前町として栄えていた名残が今もあるのは嬉しいですね。
参拝して次へ。
火之御子社
二社目は火之御子社です。
場所はこちら↓↓↓。一応宝光社から徒歩想定で2km弱くらい。神道はまた別のルートになります。
火之御子社は駐車所が鬼門。私たちも置けるかな〜なんて注意してたけど、いつの間にか通り過ぎていたくらい狭い。
こ、ここです。
通り過ぎちゃいました。
なので次の中社の無料駐車場に停め、神道を通って戻る形で火之御子社へ。
中社の西参道入口無料駐車場には、すぐに中社の鳥居が見えているのに、ええ無視して火之御子社へ向かいます。
舗装された道路を通れば歩きやすのですが、裏の神道から行くとこういった道も通ります。散々人が踏み鳴らしているので、まだ歩きやすいですね。
私たちが行った時は前日に雨が降ったのか、少し土がぬかるんでいたので、注意が必要でした。
熊よけが必要とのことだったので、スマホアプリを急いでダウンロードして、チリンチリン鳴らしていました。
そして中社から神道を15分ほど歩くと、火之御子社に到着です。
彼女が写っていたのでぼかします。
火之御子社はわりとこじんまりした感じの建物でした。
後述しますが、戸隠神社が神仏習合の時代(かつての顕光寺)も、火之御子社は神社だぞ!と神社一筋を貫いていたそうです。
こんなものを見つけて、「これは胴体から下を切られ、水を吐き出し続ける為だけに生き長らえさせられている龍だ…」とか話してました。
罰当たりですねぇ。
これはお手水なのですが、杓がなかったのでお手水はしませんでした。申し訳ない。
さて、ここには御朱印の授与所はないですが、快く御朱印を貰うために参拝をして中社に戻ります。
中社
いよいよ3社目の中社です。
場所はこちら↓↓↓。火之御子社からは約1kmと言った感じです。
地図を見てもらかるように、中社の周りは結構栄えている感じです。
お昼ご飯を食べられそうなところも結構ありましたヨ。
戸隠神社の大鳥居です。先ほどの西参道大鳥居とは別で、いわば正面玄関です。
この大鳥居を囲むように、三角形になるよう植えられた三本杉というのが有名なんですが、どれも立派な大きな杉の木でした。
その一本がこの大鳥居を超えたところにあります。
杉が植えられるようになった逸話に関しては調べてみて下さい。
私の大好きな説明看板です。
「戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなる」と書かれていますね。
奥社創建より前に既にあったとされ、土地神を祭る九頭竜社や、一番最後に創建されて、一貫して神社を貫いていた火之御子社は、神仏習合時代の戸隠神社(戸隠山顕光寺)とは、関係がなかったのかもしれません。
さて大鳥居を超えた先にある石段をのぼると中社が見えてきます。
今までで一番大きな建物です。
時間帯もちょうど昼前で、たくさんの人が参拝に来ていました。
右側に白いものがぶら下がっていますが、ここには滝があります。
さざれ滝と言うそうです。
大変なパワースポットだそうで、写真を撮ると金運がアップするとのことで、写真を撮ってみました。
よし、これでこのブログを読んでくれた皆様が激増しそれはもうウハウハに…ならないか。
ここでも中社の御朱印と、忘れてはいけない火之御子社の御朱印も頂きました。
九頭竜社と奥社
最後二社ですが、この二つはお隣さん同士です。
場所的にはこんな感じ。住所同じです。
その為、道中は同じなので一緒に紹介します。
地図ではどうみても森の中なのですが、2kmほど離れたところに参道入口があります。
駐車場に関しては結構な台数が置ける駐車場がありますが、恐らくその殆どが五社巡りの人なので、参道はまあまあな賑わいです。
大鳥居からはひたすらと長い一本道を歩きます。
さて地形が好きな私ですが、この参道のポイントを書きます。
- 2/3は緩やかな傾斜の道
- 残り1/3で約100mくらい標高が上がる
この恐ろしさですね。
まあ約2kmで2/3と言うと1.3kmちょっとですね。緩やかな傾斜で徐々に疲れてきます。
そして残り1/3の650mちょっとは標高が100m上がるため追い打ちをかけるように一気に疲れます笑
努力って、すぐには身を結ばないじゃないですか。でもある時を境に急に芽を出して、伸びるんですよね。
そんな感じ(?)
とにかく結構疲れるとだけ思っていただければ。
大鳥居前には『下馬』と書かれた石が。
これはそのまま、馬から降りて下さいって意味らしいです。
社寺などでは、敬意を表すために降りるのだそう。靴を脱いでお上がり下さい的な。(…違うな?)
まーでも、ただの長い道だから馬にも乗りたくなりますよね。
そして2/3ほどの地点からは美しい光景を見ることができます。
この随神門をくぐると、異世界に迷い込んだような景色になることから、千と千尋の世界のようだと言われています。
こんな感じです。
すごい綺麗な杉並木ですよね。
これはさすがに自然にできたわけでなくて、整備して作ったそう。
約400年前に植樹してから今まで景観を保っているのはすごいですよね。
調べてみると、1590年代から1640年代まで、その時代ごとの有力者の人によって徐々に今の杉並木の土台が整備されて、今日までこの景観が守られてきたようです。
そのおかげか、立派に育った杉の木は、戦後広島県で起こった供木運動の際には規格外として伐採免除となったそうです。
大切に守ってきたからこそですねぇ。ありがとうございます。
そして昭和48年には、「戸隠神社奥社社叢(とがくしじんじゃおくしゃしゃそう)」は、長野県の天然記念物に指定されたそうです。これからも守り継がなければいけませんね。
社叢って言うのは、神社の周りに密生している林のことを言うそうです。
そして辛かった急勾配区間はすっとばして、九頭竜社到着です。
続けて奥社ですが、こちらは写真が撮れず、遠目からです。
中心の三角屋根の建物が奥社です全くわかりませんね。是非全貌はご自身の目で!
手前に石段がありますが、これを降りたところに九頭竜社があります。
最後、御朱印の授与所で2枚の御朱印を貰い、五社巡ってきましたと報告し、記念品を頂きこの度は終了いたしました!
息は疲れましたが、帰りの道中は思ったよりあっという間でした。
御朱印と五社巡り達成の記念品
実際に五社を巡って頂いた御朱印ですが、見ていて気づいたことがあるので書きます。
宝光社・中社・奥社の御朱印
9月10日に五社を巡り、それぞれ参拝をしていただきました。
左から、宝光社・中社・奥社の順です。
「奉拝 戸隠神社 令和四年九月十日」の墨字の下に「信州戸隠山 戸隠神社 各社の名前」の印章が押されています。
それぞれ書き手の味は出ていますが、基本的なデザインは同じですね。
火之御子社・九頭竜社の御朱印
続いて、左から火之御子社・九頭竜社の御朱印です。
この二社のデザインは少し違います。
先ほどのデザインで言えば、奉拝の次に戸隠神社と来るところ、各社の名前の墨字になっています。
また印章も、信州戸隠山と中心に大きな各社名の印章が押されているのみです。
御朱印のデザインが気になり各社の関係を調べてみた
調べてみると、戸隠神社は、明治時代の廃物毀釈以前は、戸隠山顕光寺という名前だったそうです。
神仏習合の時代、多くの修験者で賑わっていた顕光寺は奥社・中社・宝光社の三社を配していました。
しかし火之御子社は上にも書いた通り、お寺であった時期はなく一貫して神社だった為に、顕光寺とは無関係だったそうです。
創建順も、調べた限りでは奥社→宝光社→中社→火之御子社と、火之御子社が一番最後とされています。
九頭竜社に関しては、創建時期は不明で、奥社よりも古いとされているので、顕光寺と直接的な関係はないのかもしれません。
そう言った関係性が御朱印に表れているのかもしれませんね。
戸隠五社巡り総括
今回は車を使って五社を巡ったわけですが、結局奥社までの参道で結構歩いたので、達成感はすごかったです。実に約18000歩でした。
しっかり歩いて巡ればもっと大変な分達成感もあると思いますが、気軽に行こうと思ったら車で巡るので丁度良いくらいですね。
そして一番は戸隠山の歴史に触れられたことが楽しかったです。これは神社仏閣巡りの醍醐味です。
大昔のものが今も残されているってことは、時代時代の人たちが意志を持って「残していこう」と尽力した結果なんだなあと感じましたよ。
そうそう、五社巡りの記念品ですが、こちらになります。
しっかりした栞ですが、もったいなくて使えませんよね笑。
大切に御朱印と共にしまっております。
では、もし戸隠神社に興味を持った方がいましたら、是非五社巡りしてみてください。
同じく長野市にある善光寺も面白い場所だったので、是非行ってみてください。
ではまた!